ストップ
室内は暗く、立ち込める湯気だけが白く浮いて見えた。
しかし湯船は広い。そりゃいいことだと思う。
やっぱ銭湯は泳げるぐらい広くなきゃ駄目だ。
湯船の中でぐっと伸びをすると水音が跳ねた。
「あー」
喉から出た声は震えて響いた。
湯を掬い取りながら掌で顔をべろりと擦った。
自らの手で伝言板に貼り付けたメモの字面を思い起こす。
昔は、と言うほど年を経ているわけではないが。
それでもむかしは、そういった細かい、気遣いの要る仕事は篠田泰人の持分ではなかったと思う。
じゃあ誰の仕事だったんだと言われれば、首を捻るしか無いのだけれど。少なくとももっと、違う人間の仕事だったと思う。思う、そんなような気がする。曖昧な欠落をあえて追うほど肝は据わっていない。思念の端っこを気取られても面倒だ。
だから思考はそこで一旦止めて、湯に顔を突っ込んでぶくぶくと泡を出す。俺は蟹だ。今は蟹だ。
息が詰まる前に顔を上げて、うへえと再び声を出した。
声が響く。
ボインのお姉さんでも入って来ないかなあ。
そうしたら一秒で気分うきうき、天国直行なのに。
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