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烏鵲の橋は無くとも 6

 
 

平穏というのはきっと後から気が付くのだと思う。だから今、こんなことを思い出しているのかもしれない。記憶の片隅に残っていたのが不思議なくらいの平凡な出来事を。
平凡と平穏は等しくそして回想できる私は幸せなのだろう。人は死の直前で走馬灯を見るという。果たして私は何を見るのだろう。
出来ることならば1年前のあの時のような穏やかに流れるものを欲してやまない。

「起きてましたか……」
無機質な扉を開けてやや困ったようなそぶりでそういうと、右手に持った包みを横のテーブルに林は置く。
茶色い愛想の無い包みの中から芳醇な香がした。
「起きてちゃ悪い?」
「そういう意味で言ったわけじゃあ無いですよ。もう少し友好的に扱ってください」
クッと笑うと、目の前に左手を差し出す。
屋号が入った包装紙に巻かれた中から可愛らしい鐘形の花が顔を出していた。
「カンパニュラ……もうそんな時期?」
「ええ。紫は病人には重いとは思ったのですが、ペルキシフォリアが手に入りましたのでね」
包装紙を取った中から林の言ったC.ペルキシフォリア――桃葉桔梗が鈴のように花を付けて現われた。
「ううん。この花は好きだから一向に構わないわよ。それに気を使ったらしく他の色もあるしね」
「一応ね」
笑顔でそう答えると、静かに林は私からカンパニュラの束を取ると横に置いてある花瓶に手を伸ばした。
中にはまだ一昨日あの人が持ってきたサンダーソニアが元気な姿を見せている。
「それ、まだ……」
「解っていますよ。この取り合わせはどうかとは思いますけどね」
オレンジと紫と白と桃。しかも同じような姿を持つ花は林でなくてもそう思う。思わず少し噴出した私を見届けると林は病室から少しの間、姿を消した。
「調子はどうですか?」
そう言いつつ林は自分の持ってきた茶色い紙袋中を検分するように覗き込む。がさがさと乾いた音を鳴らせながらどう?とばかり一つを取り出して見せた。艶のある赤い果実は私の鼻先で甘い香りを漂わす。
「可も無く不可も無くってところかな。剥いてくれるの?」
「当然ですよ。今の間に作れる貸しは作っておかないとね」
「じゃあいいわよ。自分で剥くから」
「冗談ですよ」
悪びれた様子もなくさらりと返事を返すと、引き出しから果物ナイフを取り出し林檎の皮を剥き始める。
ぼんやりと私は何かを見ていた。それはくるくると螺旋を描きながら長く伸び行く林檎の皮だったのだろうか。
「どうかしましたか?」
目の前に差し出された林檎の白い欠片を見ても私の焦点は別のものを追っていた。
何も答えない私を怪訝に思ったのか、林は少し覗き込むようにして顔をこちらへと向けた。ゆっくりとスローモーションにでもかかったように林の前髪が目にかかる。
視線が合った。
「……手」
一瞬、林の瞳の中に猜疑心の光が点ったような気がした。
「……握っていい?」
「何か、ありましたか?」
ゆるりと私は首を横に振る。
実際にこの時、別段なにがあったわけでもない。確かに入院を余儀なくされてはいるがそれもあと少しで終わる――そんな時節だった。
「おかしな人ですねぇ」
 破顔しながら林はそう言った。
 両手で包み込むように差し出された手を握ったまま林檎にかじりつく。みずみずしい音と共に甘酸っぱさが口の中に広がる。
「横着な人だ」
「病人だもの。多少のわがままはいいのよ」
「しかも、口が減らないときてる」
呆れたような表情をしながらも林の手は足掻かなかった。何かあったのだろうと老婆心でそうしたのだと思う。
 実際、私は幾度と無く林の手を借りていたから。桃香が夜中に突発的な熱を出したときも、あの人が軽い交通事故にあったときも――そこに林の手のぬくもりがあった。数多くの女性を抱いただろう手だと知りつつも私は何故かそこに力強い安心を見る。
 そして、この時から、今の自分を本能が察知していたのかもしれない。

 

――ごめんね。林。

 
 

※※※※※※

 

曇天に向かって吸い込まれ行く煙を凝視しながら彼は静かに口を開く。
「家を出ようと思います」
「子供でもあるまい。好きにしなさい」
「ええ。そうですね……」
 彼の瞳はまだ煙を捉えたままだった。
 辛くは無かったのだろうか……喉元まででかかった問いを私は飲み込む。
「何故、彼女は僕に謝罪したのでしょうね」
 それは、彼女が向けられたものに応えることが出来なかったからだろう。
「それは私にはわからないよ」
「そうでした。愚問ですね……」
「一つ聞いていいかな」
「とうぞ」
「君はしあわせなのだろうか」
「ええ、とても」
 一瞬の間の後、彼は澄み切った笑み浮かべながらこういった。
――――鵲橋がなくともね。
ゆらり立ち上る煙は、永遠に続いていくような錯覚を私は感じた。

 
 
 
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