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烏鵲の橋は無くとも 5

 
 

 どこで何を林がしているのか判らないが、夜中に酷い格好で戻ってきた姿を幾度か見かけたのは林が24・5歳の頃だった。
 それは明らかに誰かとの喧嘩の後で、肋骨を折ってきたことも一度ある。そんな殴り合いを自らがするような性格では無いので多分にそれは相手から殴りかかってこられているのだろう。ただ林の性格上、そういう目に合っても不思議ではない。人をさげすんだ態度を平気でする林だからむしろ少ないくらいだと思っている。心配をしていないわけではないが、林に気づかう言葉をかける必要は無いということも良く判っていた――のだけれど。
「何かいいたそうですね?」
「別に」
「そうですか? 顔に出てますよ。林はどこで何をしてるのだろう。何か危ないことに首を突っ込んでいるんじゃないかしら。林のことだから相手を不愉快にさせて殴られたに違いないだろうけど。そして、いい加減にしなさいよ。ってね」
 林は長くウェーブのかかった前髪をかき上げ、笑いながらそういった。
「だから何も言ってないでしょ」
 そっけなくそう答えたとき、林は顔をしかめて右肩をさすった。はっとした顔をして近づこうとした私をゆるりと手をあげて制す。
「平気ですよ。自業自得ですからね」
「判っててなんでそんなことするのよ」
 そんなことがどんなことか私にはわからない。当然このときも私の言った“そんなこと”に対して逆に問われると思った。
「さぁ……どうしてなのでしょうね。僕にも良く判りませんよ」
 うつろな目をして林はそう答えた。
「林がどこで何をしようが、林の勝手だし、私がどうこう言う事でもないけどこれだけは覚えてて、私にも林を心配する気持ちはあるってことをね」
 足早に林の横を通り過ぎ、私はキッチンの水道からコップに水を入れる。振り向こうとした瞬間、覆いかぶさるような温かさを背中に感じた。
「ありがとう……」
「な・なによ。酔ってるの?」
想像しなかった林の行動にコップを持つ手が微かに震えた気がする。「少しね」という声とともに林は私の肩越しから伸ばした手でそのコップを掴みスルリと離れる。
今の林の行動に現実感が全く沸かなかった。
「かあさんに心配はかけないようにしますよ。僕にも学習能力はありますからね」
林が私に向かってそう呼んだのは後にも先にもこの時だけだった。
この後、林の夜遊びや外泊はパタリと途絶えた。とは言うもののそれも数週間程度だったような記憶がある。再び前のような生活パターンに林が戻った最初ごろは、何時けがを負ってくるかとやきもきもしたが、その心配は無駄に終わった。
ただ、その変わりといってはおかしいが、それから暫く……半年か1年ほどしたあたりだったろうか。たまに日中に数時間店をあけるという行動が加わった。長くて4時間、短くて2時間程度だった。そして戻ってくると時折、注文表を書いて私に手渡した。
新規開拓をしているなどと素直に思っていた私は林の行動を知って愕然とした。それは余りにも衝撃的だったから。
それは、私が33歳。林が28歳の時だった。
「あら。早かったじゃない? 戻ってくるの5時って言ってなかった?」
「ええ。でも今日6時から約束があったことを思い出したのですよ。急で悪いですけど5時から出かけますよ。多分今夜は帰らないと思います」
「判ったわ」
 そう答えた私の横を林は通り抜けた。
「ああ。それとこれ。明後日ここの住所にシンビの鉢を一つ届けてください。1万ほどのものでいいですよ。色は任せます」
林から注文表を受け取ったとき、何時もと違う林の姿に私は無意識に言葉を放った。
「あら? なんか違わない……」
「なにがですか?」
「ああ。そっか。雨でも降った?」
私は手を伸ばし林の前髪に触れた。ウェーブのかかった髪は何時も軽く揺れている。だがこの時触った髪にはかすかに湿り気が残っていた。
私の触れた手を離すかのように一度クイッと首を回すと林は前髪をかきあげる。
「ああ……これね。今日は時間がありませんでしたからねぇ」
「時間? なんの?」
「髪を乾かす時間ですよ。当然でしょ?」
にやりと林は笑った。
「え……それはなに? 何を言ってるの?」
「何をって、シャワーを浴びた。髪を洗った。髪を乾かせなかった。でしょ? どこかに矛盾がありますか?」
「ちょっと……ちょっと待って」
私はクラクラとした。
「最初から言わないと判らないですか?」
「さ・・最初ってなによ!」
「某宅へ行って、そこの人妻と寝て、ことが終わって……ああ。ダイレクトにいわないとわかりませんか? セッ――」
言葉の途中で私は林の頬をめいいっぱい叩く。
「正直に話しているのに手ひどいですねぇ。ああ、大丈夫ですよ。子供は出来ないように最善の注意は払っていますから」
「そういう問題じゃないわよっ!」
さっき受け取った注文表を私は林に向かって投げつけた。
「それが報酬ってわけ?」
「別に報酬ではありませんよ。先方のご好意です。僕は別にこんなものを貰うために行ってはいませんからね」
「じゃあ単に寝に行ってるとでもいいたいのッ」
「そうですよ。何かおかしいですか?」
「おかしいわよッ」
「どうしてです? お互い合意の上ですよ。問題は無いでしょ?」
「じゃあ何、その人の事が好きだとでもいいたいの」
「当然じゃあありませんか。なにを判りきったことを聞くのですか? そういういう感情がなければいくら僕でも抱けませんよ」
「冗談……でしょ?」
「冗談で女心を弄ぶとでも?」
「本気だといいたいの?」
憮然とした表情で私は言った。
「まぁ。昔は僕も若かったからですから環さんの想像するとおりではありましたが、今は違いますよ。本気で当然でしょ。でなければ抱いた相手に失礼じゃないですか」
「じゃあ、その人と結婚したいの?」
「まさか」
と林はおかしそうに笑った。
「じゃあ、遊んでるんじゃないっ! それは弄んでることと一緒よっ!」
「それは環さんの恋愛論ですよ。僕の恋愛論と違うようですからそう思われても仕方ないですけどね。でも僕は相手を抱く時は何時でもその人の事を全身全霊で愛していますよ。偽り無くね」
「じゃあ、結婚しなさいよ。その人の事を愛しているんでしょ!」
 林はうんざりしたような表情を見せた。
「判らない人ですねぇ。その行為の時だけはその人を愛せますが、それ以外のときは全く愛せないから結婚しないのですよ」
きっぱりと言い切った後、林は注文表を拾った。
「…………」
「僕は自らが心底から惚れぬいた……そう何もかも全てを投げうることの出来る相手でなければ結婚はしませんよ。まぁ、そういう相手がいたとしても結婚するかどうかまではわかりませんけどね。ああ、誤解しないで下さいね。結婚できる状況じゃない可能性もありますからね」
「例えば?」
「相手がその気にならなければ当然成立しませんよ。でしょ? 僕の勝手な懸想を相手にまで押し付けることはしませんよ」
「相手が振り向いてくれなくてもいいの? そしたら林はどうするの?」
「別にどうもしませんよ。そうですねぇ。草葉の陰から見守っているかな」
茶化すようにそういったあと、自分に呟くように小さな声で林はささやいた。明確には聞き取れなかったが、私にはこう聞こえた「ずっと」と。
それでもやはり林の行動に私は諸手をあげて賛成するわけには行かなかった。多分それは私が女という生き物であるからだろう。
その反面、林がその人を探し続けているのも良く判った。そんな反目する感情で私は林に何が言えるだろうか。せいぜい出かけるときに冗談ぽく嫌味を言うぐらいだ。
上っ面を転がるだけの言葉の応酬である事は私のみならず林も感じていたに違いない。だが私は敢えて林への追及を拒んだ……いや畏れていた。確信は無い。けれど追求した先にあるものは良くないもののような気がしたから。

 
 
 

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