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烏鵲の橋は無くとも 3

 
 

林が地元の大学に通うようになってから店に来る若い女の子の比率が勢いを増し、こんなことなら地元を離れればよかったなどと林がぼやいたのをよく覚えている。
「じゃあ、編入すれば? その気になれば林の頭ならどこでも入れるでしょ?」
その気にならなくても林ならばどこにでも入れただろう。地元から離れなかったのは、店が気になっていたのだろうと私は思っている。林が大学に入った当時はまだ私はここに嫁いではおらず、あの人ひとりでは心もとないと思ったのは別に不思議なことでもない。だが、今は私がここに居る。林の将来を狭める必要はなくなっているのだ。
「そんなに僕を追い出したいですか? まぁ、邪魔者といえば邪魔者ですけどねぇ」
ふふふと林は笑う。
「誰がそんなことを言ったのよ。別に邪魔者扱いしてないでしょっ!」
「じゃあ、ここに居ますよ」
「それでいいの?」
「何がですか?」
「何かしたいこととか、将来のこととか色々とあるでしょ?」
「今のこの生活に満足していますよ。あー。やっぱり追い出しですか?」
「だからそういう事はしてないでしょ。気の済むまでここに居ればいいわよ」
「どうやらお許しが出たようですね。その言葉に甘えて気の済むまでここに居ますよ」
このとき何気に林が嬉しそうだったのは何故だったのだろうか。とにかくこの言葉は林が現在30歳を迎える今も継続されている。

 

林が以前にも増して女性に対して優しくなったことは、私の言った所為だということもありそれ以上は深読みも何もしなかった。それに辛辣な時は相変わらず辛辣だから。林の放つ言葉は正論で、寄ってくるいかにも頭の軽そうな女性に林がそういう態度を取っていたのも明白だった。
そんな態度を平気で店でも見せる林に不快感は無く、むしろ心の中では辛辣な言葉を返される女性に対して“ざまあみろ”というような変な優越感すらあった。林が選ぶ女性はうかつで薄っぺらな女性のはずはないと思っていたから。
だが、これは根底から覆された。林が何を考えているのか判らなくなったのは余りにも彼が女性に対しての態度が一変したから。何か裏切られたような気がしてとても悲しかったことは今でも忘れることは出来ない。
それは桃香が生まれて少し経ってからだったような気がする。

 

桃香――それは私が26歳の時。春の浅い頃に誕生した。林からすれば複雑な思いがあったに違いない。21歳も年の離れた妹がいきなり現れたのだから。私が林の立場にいたのなら、素直に受け入れるにはかなり時間を要したと思う。
「桃に決めた。木森桃だ」
あの人がそういった瞬間、林は顔全体を使って嫌な顔をした。
「ふざけるのはよしてください」
「何がふざけてるんだ? 可愛い名前じゃないか」
「充分ふざけていますよ。僕が林で妹が桃ですか? 冗談じゃあありませんよ」
はき捨てるように林は言う。
「私の子供だ。どうつけようと勝手だよ」
「勝手なのはわかります。でも僕は認めませんよ。父さんの安直な考えに吐き気すら覚えますね」
「吐き気を覚えるのはそっちの勝手だ。そもそもお前に認めてもらう必要がどこにあるんだ?」
「僕の妹ですからね。僕にも意見する権利はあると思いますよ」
延々と続くこの諍いを神妙な顔で見ていた私だったが、心の中でこっそり笑っていたことなど二人は想像もしなかっただろう。余りにも良く似た切り口で相手を攻めて行くのは第三者の私にはとても面白く見えてしまったから。そして確かに林はこの人の血を受け継いでいると感じた瞬間でもあった。
何がそんなに気に入らないのか判らないが、かたくなにこの名前を林は拒絶し続ける。珍しく林が追い込まれていた。当然といえば当然なのかもしれない。この子の父親はあの人なのだから。
「いい加減にしてよ! この子がおきちゃうじゃないのっ」
二人は同時に私の顔を見るとこういった。
「環さんの声のほうが大きくて、起きちゃいますよ」
「林の言うとおりだな」
素早くベッドに視線を移すと彼女は心地良さそうに眠っていた。二人の長い論争も私の声も一向に動じない生後間もない彼女に対し少しの苦笑いを心の中で私はした。
「とにかく、いい加減にして」
一呼吸置いたのち、私はきっぱり言い放った。
「桃香。異議は認めません」
二人はこの名前を認めた。それは余りにもあっさりしていて逆に言い出した自分の方が動揺したほどだった。
「え……いいの?」
「異議は認めないのでしょ?」
林はからかう様にそう言う。
「君がつけるのなら私も文句はありませんよ。いい名前じゃないか。それに私の意向もちゃんと入っている」
「いい名前だと思いますよ。彼女の生まれた季節がすぐに読み取れますからね」
こうして林の妹は桃香という名前を貰った。あれほど頑なにあの人の付けようとした名前を嫌っていたはずの林だが、何故か彼女を呼ぶときは決まって“モモ”と呼ぶ。それはとても不思議だった。

 
 
 

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