TOP
ABOUT

Works
 ∟資料壱:characters
 ∟資料弐:logos
 ∟資料参:place
 ∟PBW版保管庫
Contact
LINK

 
 

烏鵲の橋は無くとも 2

 
 

林が店に来る若い女の子に優しく応対するようになったのは私が結婚する1年程前だった気がする。
まだここに嫁いで無く、林と始終顔をあわせるわけではなかったので記憶は不確かではあるが、多分そんな時期ぐらいだっただろう。私の「優しくなった」と言う言葉に林は真顔で私が愛想良くしろといったからだと答えた。林が人の意見を素直に受け取り、ましてや行動に移すなどと思っても見なかった私は暫く唖然とした気がする。だが何かにつけて嫌味を放つことは相変わらずだった。
そんな林の話し方にも慣れが出来き、赤面や頑なに反論を返すという行動から脱し、居直ることを覚えたのは私の成長なのかもしれない。この当時、私が一番気に病んでいたのは林が私を母として受け入れるのかどうかの一点だった気がする。
林の母になるには余りにも私は若く、幼く、年の差がなさ過ぎた。そして何よりも林が遙かに私より大人びていたから。
「あと半年ですか……。晴れるといいですね」
「晴れるわよ」
「曇りなく断言しますね」
「当然でしょ」
「根拠も無いのに自信たっぷりですねぇ」
と、林はクククと笑った。
「五月蝿いわね。大体ね、言葉には言霊っていうがあるの。言えばおのずとそうなるものよ。だから晴れるの」
「環さんはそんなものを信じているのですか?」
 この頃から林は私のことを下の名前で呼ぶようになっていた。
「信じてちゃあ悪い?」
「いえ? 僕も言葉に言霊があるという事は信じていますよ。ただ、言えばそうなるとまでは思ってはいませんけどね」
「じゃあ、ついでだから言えばそうなるという事まで信じちゃいなさいよ」
それには答えず、林はただ笑いながら水切りに精を出していた。軽やかに鋏を入れる音が長い二人の沈黙の中に漂っていた。何もすることが無くただぼんやりと店に佇む姿にいつもなら揶揄の一つでも入れる林だが、この時ばかりは何も言わなかった。まるでそれは私が何かを言うことを待っているかのように。
実際にこのとき私は芽生えていた悩みを打ち明けるかどうか迷っていた。林がそんな私の思惑を知る由も無いのだが、「言うべき事はちゃんと早く言った方がいいですよ」と促しているように思えて仕方なかった。
「あの……」
長い沈黙を破ったのは私の力の無い声だった。
「何ですか?」
こちらに顔を向けるそぶりもせず、林は淡々と同じ作業を繰り返す。
「一つ聞いていい?」
「一つと言わずいくつでも」
「林は私を受け入れてくれるの?」
 静かに鋏を置くと林はゆっくりと私に向き直った。
「環さんの言いたいことは、僕が貴方を母として受け入れることが出来るかという事ですね?」
「ええ」
「僕の母は今も昔もずっと亡くなった母一人です」
林の言葉を予想していたものの目の前ではっきりと聞くとやはり私は軽い失望感を感じた。
「ただ……」
珍しく林が言いよどみ暫くの沈黙があった。それは全身全霊をかけて紡ぐ言葉を懸命に探しているという感じがした。
「僕は貴方を慕っていますよ。とても。ですからここへ貴方が来る事はとても嬉しいですよ」
それはとても綺麗な笑みだった。実際、林から繰り出される笑みは何時も美しい。それは林の容姿からなるものだろうが、この時の微笑みはそれを度外視しても綺麗だった。
「僕は母の代わりとしてでは無く、貴方自身を歓迎していますよ」
「それはどういう意味で?」
我ながら馬鹿な質問を返したと思う。明らかに林からどういう言葉が返ってくるのかもわかっていた。でも何故か聞かずに居られなかった。それは直感……というより本能だったのだろう。自己防衛のために本能がはたらいていたと言うべきか。それは余りにも傲慢で馬鹿げた妄想による自己防衛。
そして私は自分の想像通りの林の答えを待っていた。確信を林から求め、砂漠の中で見つけた一点の水のしみを覆い隠すために。
「環さんは僕の母になる為だけに嫁ぐ気なのですか?」
林は冷ややかに言った。
「まさか」
鼻先で笑ってそう答えると同時に私は、一点の水のしみを地中深く埋めた。なんぴとも決して見つけられない程奥深くに。
「それなら僕にそんな質問は陳腐だと思いますけど?」
満足そうな笑みをたたえながら林はそう言う。
「それはそうだけど。なんか……嫌じゃない。林に認められないような気がするもの」
「駄々をこねますねぇ」
「駄々なんかこねてないわよ。ただはっきりしたいのよ。嫌なら嫌でいいから」
「誰が嫌なんていいました? 僕は一言もそんなことを言ってないですよ。むしろ手放して喜んでいるじゃないですか。それに僕は何時認めないなどと言いました?」
「さっき言ったじゃない。自分の母は亡くなった人だけだって」
「確かに言いましたね」
「ほら。それが認めないと同じことよ」
ゆるりと笑い林は丁寧に言葉を紡ぐ。
「貴方は母じゃあありませんよ。当然でしょ。僕を生んだわけではないのですから。でも継ぐ母と書いて“はは”と呼ぶ事は可能ですよ」
林はそういうと、赤いカーネーションを一本私に差し出す。
「それは……認めて……受け入れてくれるって言う事?」
「環さんがこれを受け取るのならばね」
「当然じゃない」
半ばひったくるようにして私は林の手からそれを奪った。と同時に埋めた水のしみは滲まないと信じていた。このときの私はそれを信じて疑わなかった。
そして、つい数分前までは信じていた。いや、あの頃からずっと信じようとしていたのかも知れない。それは余りにも――だから。

 
 
 

3

Top > Works > 烏鵲の橋は無くとも2