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春を望むもの
 
 
 
 

 ふと思いついて、懐に突っ込んであったカードを開いた。
 文字面を目で追う。

『疲れた時にでもどうぞ』

 と、いうことは疲れたら食べてもいいということか?
 疲れるまでは食ってはならぬと。
 思った直後に次の一文が目に入る。

『疲れてなくても悪くなる前に食べて下さいよ。』

「…………悪く……」
 悪くなる前に食えという。
 悪くなるとはどういう状態だ。
 鹿島の認識では、チョコは悪くならない。
 これはカンパンや干し肉と同様のものなのだ。
 この思考でいくと冷凍品も悪くならない。凍っている間は、それこそ時間が凍結されるからだ。冷凍品の賞味期限は永遠である。南極で氷漬けにされたマンモスの肉もまだ食えるはずだ。

 チョコは悪くならない。が、溶けるのは悪い状態だろう。なぜなら形が崩れるからだ。

 チョコを取り出してみる。溶けてはいない。
 では粉を吹くのは悪い状態なのか?
 粉を吹くのは食品として正常な証拠だ。
 だから悪くない。
 以上、チョコの状態は正常であると判断していいだろう。まだ粉も吹いていない事だし。
 
 文字の続き。

『チロルンの方は智明さんにあげて下さい。』

「渡した」
 宜しい。
 これはすでに先日達成済みだ。
 多少の行き違いは発生したが、最終的に解決したのだから何も問題はなかろう。
 羽織の肩先に雪が触れる。
 深夜の淵は静まりかえったまま、時折歌声が耳に届く。
 あれはだれだったか。

 さあ。

 誰かの声が頭の中で返した。
 鹿島は口を閉じた。右目で淵を見やる。
 赤い。
 沈黙と得体の知れない悲鳴。これは森から響くものだろう。
 チョコをひとつ口に放り込む。
 甘いと舌が感じた直後に苦い。生薬のような、独特の風味。
 かなり複雑な味だ。アルコールはやや強めだろうか。これはこれで美味い。
 残ったチョコを見る。
 そういえば養命酒がどうこうと言っていたような気がする。
 何故そこで養命酒なのか。
 白いのは意味不明だ。
 指先で支えたままのカードに視線を落とした。

『もうすぐ春ですね』

「そうだな」

 ああ、そうだな。
 だが此方は一足先に春だ。
 紅梅だけが一枝きりで、咲く間は空気を暖める。
 だからそちらの町にも早く訪れればいいと思う。
 優しげに頬に触れるだけの春であっても、早く訪れればいいと思うだけだ。

 
 
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Tag: 鹿島陽輔