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次はない
 
 
 
 

 あの時彼が何を考えていたのか、絹子にはさっぱり判らない。
 生界においての絹子はお世辞にも活動的と言える人間では無かったし、それを言うならば夕貴だってそうだ。
 部屋の中に閉じ籠ったまま何をするでもなくだらだらとお喋りをしたり、本や雑誌を読んだり。夕貴の持ち込んだ菓子を並べて、味の品評会をしては通ぶってみたりもした。
 退屈すればトランプを引っ張り出して、ババ抜きや七並べが始まる。
 ババ抜きはすぐに終わってしまうのが難点だったが、七並べは意外と間がもつ。向き合って黙々とカードを手繰り、眺める。幸いなことに二人とも沈黙が全く気にならない性分でもあったし、兎にも角にもそうやって時間を潰すことだけは大得意だった。
 夕貴の一番のお気に入りは神経衰弱で、ベッドの上にずらりと並べられたカードを睥睨し、慎重な手つきで一枚を選び取る。
 一枚、選んでから、もう一枚。
 声を掛けてはいけない、ような気がして、絹子は黙ってコーヒーを啜る。
 真剣な顔。
 話しかけて煩くしたからといって夕貴は怒ったりしないし、例えば絹子が勝手にもう一枚を選んでしまっても、そっちの番だよと言って順番を譲るだけだろう。
 彼は大概絹子に甘いのだ。
 それは判っているけれど、でも邪魔をするのは嫌だ。せっかくあんなに真剣なのだから。
 なので絹子は黙り込んだままマグカップの中のコーヒーの不味さを心中で罵り、夕貴は黙々と札を合わせる。
 札を捲り続ければいずれはゲームの終わりがやってきて、最後の絵柄が揃うと夕貴はほっと息をつき、それからやっと絹子を正面から見て、冷めたコーヒーに手を伸ばす。
 いい年をしてゲームに真剣になった自分を少しだけ恥ずかしく思いながら、照れ笑いを浮かべて、何か誤魔化すものはないかと辺りを見回す。
 それで、
 あ、と声を上げた。

 椅子から立ち上がり、窓へと向かう背中を、絹子は訝しく思って視線で追った。
 らしくもなく背は急ぐ。
 窓の桟に手を掛ける。
 見なよ、と夕貴が言った。
「雨が上がったみたいだ」
 上着の内ポケットから鍵を出し、窓の施錠を解く。
 錆びついて重く軋む窓を力強い腕が開くと、雨の気配を多分に含んだ風が一斉に流れ込んで来た。
 新しい空気に惹かれるように、絹子は寝巻きの裾を踏みながらよろよろと窓辺に近づいた。
 必死に息を吸い、吐く。生きていれば当たり前の動作なのに、涙が滲んだ。
 夕貴が笑う。
 その時に笑った、彼の顔をまだ憶えている。
 丁寧に直したはずなのに、しつこく残っていた寝癖を優しい指が梳く。
 恥ずかしかった。言うと、それはいいことだと夕貴は笑った。
 治ったら、と彼が言った。
 一緒に外に出よう。
 千草が治ったら、治っても一緒に居よう。

 あの時、彼がなぜ窓を開けてくれたのかは未だに判らない。
 窓から続く狭い空でも案外簡単に人は死ねるものなのだと、その前の週に絹子自身が証明したばかりで、父も母も医師も、そして恐らくは彼も、絹子の存在そのものに随分と神経質になっていたはずだ。
 鼻先を掠めた雨の気配は重く、けれど何処かの草の匂いをうつして甘い。
 雨の匂いを感じるたびに、いつも思い出す。
 とても好きだった人のことを、一緒に居ようと笑った頬を、窓の外で揺れた樫の枝を、澱んだ肺を満たした空気を。
 どうしようもなくいつも思い出すのだ。

 
 
 
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Tag: 小野寺絹子 小野寺夕貴